やがて哀しき中学受験―曲がりくねった道をまっしぐら

中学受験の後に娘が描いた絵です。

やがて哀しき中学受験―曲がりくねった道をまっしぐら

はじめに

この物語は、我が家の娘(2022年に中学受験をし、都立中高一貫校に

進学)の中学受験を時系列に沿ってまとめたものです。

おそらく、ほぼすべての中学受験生と同じで、良い事も悪い事もあり

ました。

「上がったり沈んだり」を繰り返し、何とかかんとかやり切ったという

お話です。

以下の話は基本的にすべて事実に基づいていますので、今、中学受験をされている

方、今後するかもしれない方には、ある種のルポルタージュとして意味があるかも

しれません。

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4年生の秋・突然の表明

忘れないように日付入りでtwitterに上げておいたのが良かったです。

あれは2019年(令和元年)11月23日(土)、娘が突然、我々夫婦に

「ちょっと話があるんだけど」

と言ってきました。

当時、娘は小4の秋。いつになく真剣そうなので、下の子を実家に預け、

3人で駅前のやや敷居の高い喫茶店に。

娘「中学受験というのをしてみたい」

夫婦「ほ~。なるほど。良いんじゃない」

  「塾とか行くか?」

娘「う~ん。塾はな~」

ワイ「じゃあ、ワイが教えるよ」

という感じで我が家の中学受験は始まりました。

 

結構あっさりと聞こえるかもしれませんが、実際そんな感じでした。

娘の状況としては、ガチガチの習い事は特にしていませんでしたので、

何かと並行してという必要はありませんでした。

学校の成績はほとんど気にしていなかったですが、特別に良いわけでも

悪いわけでもなかったです。

ですが、結果として都立中高一貫校を「受検」しましたので、5年生と6年生

2学期までの報告書が必要になりますから、4年生の11月に言ってくれたのは

助かりました。5年生の1学期からは「あゆみ」の成績は、主要教科はほぼ

すべて一番左の「とても良い」になってきましたので。

(とはいえ、これも後々知るわけですが、都立中高一貫校に合格する児童の

多くは、体育等も含めて、「全優」みたいな子が半分以上いるようですね…

うちの子は最後まで、体育や家庭科等が真ん中でした…)

 

塾に行かなかったのは、総合的な判断です。

●夫婦ともに、学生時代、予備校講師・家庭教師等をしていたので「受験」は知ってる

●小学生を夜遅くまで塾に行かせて、夕飯を一緒に食べられないのは親も子も嫌だ

●中学受験の塾の費用が不要に高い

といった辺りです。

何にせよ、この4年生秋の「受験表明」から、すぐに受験勉強を始めました。

 

まずは「100マス計算」

僕は、仕事場と自宅が隣接しているのと、タコ社長をしているので、

ある意味時間は自由で、いつでも教えられます。

ですので、娘の「中学受験表明」の翌日からさっそく指導を始めました。

とはいえ、まずは

「この子は本当にやる気があるのか?」

「この子の受験勉強的な才能は?」

といった辺りを探らなければなりません。

特に、後者は親としては怖いと言えば怖いわけですが…。

また、受験に限らず、何事も「基本」が大事です。

ですので、まずは「100マス計算」から始めました。

 

11月24日からの1週間以上は、「100マス計算」だけをやらせました。

小4の秋ですから、「できる」のは当然で、それがどれだけ速くなるかを

見ているわけです。

結論を言うと、「やる気はある」「計算を正確に速くはボチボチかな」

という感じでした。

 

4年生の12月「本気でやるか」

4年生の12月の段階で、念のため再度本人の意思を確認して、

「じゃあ、本気でやりますか」

と家族で決めました。

 

ここからは「受験勉強」なのでガチの勉強です。

 

4年生の三学期からは、16時くらいに帰宅してから毎日必ず勉強

しました。幸か不幸か健康な子だったので、そのまま6年生の2月3日

まで、一度も風邪をひくことなく、本当に毎日勉強したと思います。

我が子ながら立派だと思います。はい。

 

具体的には、「100マス計算」を頭の準備運動として使い、国語・算数・

理科・社会の各教科を一歩ずつ進めるという形でした。

当初は、国立・私立・都立、特に「志望校」というものはなかったので、

いわゆる知識を入れていく、私立型の勉強をしていきました。

 

中学受験に限らず、「受験の1年前に一回は一通りの範囲を終わらせる」

というのは受験の鉄則です。大学受験なら高校2年生までに一回受験範囲を

終わらせるという事ですね。

中学受験の場合、5年生の間に全分野を一回終わらせるという事になります。

 

これは、ほぼすべての進学校や受験予備校等も同じやり方をしています。

僕はその点をよく知っているので、4年生の冬に本気で中学受験を始めた

時に、1年半(5年生の3月いっぱい)で全分野を終わらせるカリキュラムを

考えました。

何も先取りしてる自慢がしたいわけではなくて、ほとんどの進学校がこのやり方を

するのにはきちんとした理由があります。

それは、最後の一年間を「復習・記憶の定着+演習・過去問に慣れる」にあてられる

からです。

これは中学受験でも完全に同じです。

ですから、国語・算数・理科・社会の全分野を4年生~5年生までに一度終わらせる

事はかなり重要です。

なぜなら、その結果、小学校6年生の一年間を「復習・記憶の定着+演習・過去問に慣れる」

事にあてられるからです。

その前提で、4年生の間に各教科でした事は、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

算数+4年生:四則演算を完ぺきにする。正確さ+速さ

国語+4年生:語い(漢字等)は積み重ね・文章に慣れる

理科+4年生:全分野を何となく知る+習った所を深掘りする

社会+4年生:全分野を何となく知る+習った所を深掘りする

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

です。

 

5年生・365日受験勉強

5年生の受験勉強は6年生と同じかそれ以上に大事です。

既に書いたように、

中学受験に限らず、「受験の1年前に一回は一通りの範囲を終わらせる」

というのは受験の鉄則です。

ですので、5年生の間に以下をすべてやりました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*「計算」と「漢字」は毎日の準備運動として

★『塾技』の算数をすべて一通りサラッと

★『塾技』の理科をすべて一通りサラッと

★社会はこのブログの記事をもとに、地理・歴史・公民を一通りサラッと

★国語はミクニ出版の通称「銀本」を大問1問以上を毎日

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  

とはいえ、「一回は終わらせる」のが主眼なので、決して、5年生の時に

「理解して難問を解けるようにする」必要はありません。

6年生の時に、まったく見たことも聞いたこともないという範囲をなくして

おくことが重要です。

 

この先取りのやり方は、おそらくサピックスも四谷大塚もほぼ同じ

だと思います。

 

5年生の時にきっちりと地に足をつけて受験勉強を進めたのが結果

としては良かったかと思います。

 

塾に行っていなかったので、他の事の比較や、自分の立ち位置が分かり

づらいというのは最初から懸念していたので、5年生の春から始めて、秋

(夏には外にオープンな模試は大手進学塾はあまりやらないようです)

冬からは模試を受けまくりました

5年生の秋くらいまで偏差値はあまり気にしませんでしたが(もちろん、

それなりには気になりますが…)、5年生の冬くらいからは

★四谷大塚の合不合の4教科平均で偏差値60以上!★

という数字的な目標を設定しました。

 

5年生の時(2020年)、いきなり4月から新型コロナの影響で、結構な

期間、自宅待機(正確にどういう呼び名だったかは忘れましたが、学校

が休み(オンラインでもなかった気がします))でその分受験勉強に

時間を割けたと記憶しています。

 

また、風邪をひくこともなかったので、本当に365日受検勉強をして

いたのではないかと思います。

とはいえ、サピックスのように「3時間休みなしぶっ通し!」で授業といった

事は本人の適性的に向いてなかったので、コツコツゆっくりと積み上げる

感じでした。

毎日受験勉強はやってましたが、追い込む感じは全くなかったと思います。

 

明確な目標はない?「どこでも受かるようにしておけば良い」

うちの子に関しては、最後まで明確な「熱望校」はありませんでした。

(基本的には「熱望校」があった方がやりやすいと思います)

その都度、

「まあこれくらいの偏差値だから目指すのはそのちょい上かな」

という感じで野心ゼロでしたね。

とはいえ、それでは、どんどん成績・偏差値は下がるのは当然なので、そこは

鞭をふるって、

「何言ってんだ!明確な目標が無ければ、どこでも受かるようにしておけば

良いんだ!」

と言って受験勉強を進めていきました。

 

6年生4月の四谷大塚合不合で良い感じ!

いよいよ受験生の6年生になりました。

4月にあった四谷大塚の合不合を受けました。

この時は、翌年の2月に実際に受験した私立中学での模試でした。

 

4月の四谷大塚合不合で、それなりの偏差値が出たので、親子ともに

「これはいけるか⁈」

となったのをよく覚えています。

(とはいえ、結果としてみると、この後、四谷大塚もサピックスオープン

も、偏差値が上がる事はあまりなく(下がる事もあまりなく)、数字だけ

見ると、穏やかに受験を終えていく事になるわけですが)

 

6年生の一学期、学校に行きつつ受験勉強を継続し、土日(主に日曜)は

模試というルーティンで日々の生活が進みました。

 

本人はあまり、「受験校」についてこれといった希望はなかったようですが、

親・夫婦は、こっそりと、

2月3日の国立or都立中高一貫が本命!

と決めていました。

二人とも、「国立・都立に良い学校があるのに、わざわざ私立に高い学費を

払うのは気が進まない」という感じでした。

また、偏差値的にも、がんばり次第で国立(筑波大付属orお茶の水女子大附属)

か都立中高一貫(学校によって差は多少ありますが、基本は難関)に手が届く

感じでしたので、親の第一志望は決まっていました(2月3日の国立or都立)。

娘にはプレッシャーになるので特に何も言いませんでしたが。

 

6年生の夏休み:ひたすら過去問

6年生の夏休みは、ひたすら過去問をやりました

まずは、四谷大塚偏差値で40くらいの学校を確実に解けるかどうかを

確かめました。午前中に4教科全て終わらせて、採点は親がやるという

形でした。

次は、四谷大塚偏差値50くらいの所をドンドン解きました。

 

さすがに、毎日ずっと家でというのは、インドア派の娘も気が滅入るのか、

たまに、近所の図書館に行ってやっていました。

午後は過去問の復習と算数と理科の『塾技』等をやって、レベルを上げていく

作戦でした。

 

また、

2月3日の国立or都立中高一貫が本命!

と決めていたので、念のため、都立中高一貫のための「適性検査」の

過去問もそれなりに解いておきました(結果としてはこれはかなり

重要でした)。

 

コロナの影響でいつもの夏休みとは日程が若干違った記憶もありますが、

とりあえず毎日受験勉強をつづけました。

なかなか立派だと思いましたね。

 

6年生9月の四谷大塚合不合…偏差値が上がらない…

が、しかし、満を持して臨んだ9月の四谷大塚合不合や

サピックスオープンで偏差値が上がりません

 

これは、ある程度僕は分かっていました。6年生の秋以降は

基本的にみんな必死にやりますし、やっていない子は撤退します。

そうすると必然的にある程度の偏差値がある子はそこから上には

上がりづらくなります。

偏差値というのはやはり相対的な存在ですから。

 

分かってはいても、「あれだけやっても、そんなに偏差値が

変わらない」という事実は小学生にはきついです。

 

やる気を持ってもらおうと、模試のついでに、(数駅内にすべてある)

女子御三家の桜蔭、女子学院、雙葉などの校舎を見に行ったりしました。

とはいえ、あまりそういった事に影響されないタイプの子なので、この

作戦は功を奏しませんでしたが・・・。

 

とはいえ、偏差値が落ちたわけではなく上がらないだけなので、親としては

「このまま2月まで継続的にやってくれればそれなりの結果にはなる」

と思っていましたが・・・。

 

6年生11月:娘から弱音が…

6年生の二学期になり、ある意味中学受験のラストスパートが始まりました。

教える僕も、かなり気合が入り、詰めに詰めるという感じになって

きました。

娘に厳しい言葉もかけて叱咤激励!という感じで進めていたらなんと、

11月頃に娘から弱音が

「このペースではムリもたない」

中学受験を始めて、おそらく初めての娘からの「ノー」の言葉です。

これまでの頑張りを誰よりも良く知っていて、見てきた僕は、これは

家族会議だなと即座に判断しました。

 

学生、院生時代にたくさんの子を教えてきた経験上、「子供(特に小中学生)

は無理をさせ過ぎると潰れる」という事を知っていました。燃え尽きて

しまうわけですね。

小中学校でとても良くできた子が、その後数年間、全く勉強をせずに信じられ

ないくらいできなくなるケースもよくあります。

 

それだけは避けるという前提で家族会議を開きました。

 

6年生11月:志望校を都立中高一貫校に確定

そもそも、自分から「この学校に行きたい!」という事をほとんど

言わないのに、偏差値だけを見て親が「ツクフ!」とか言っていたので、

具体的にどこの学校を受けたいのかという原点に返った話

から始めました。

娘「そうね。まず、遠くには行きたくない!」

夫婦「え、そこが第一!」

娘「ママが言ってる、ツクフとかオチャってどこにあるの?」

夫婦「文京区で、家からだと電車で●●●~~」

娘「電車とか無理むりムリ。受かるかもわからないのに」

夫婦「お、おう」

夫婦「そうすると、2月1日と2日は、近くの難関私立+滑り止め私立

で良いとして、2月3日は都立中高一貫校って事?」

娘「そうね」

夫婦「いちおう、通える範囲で4つくらいあって、近いという意味では

2つだけど。偏差値的にはどこを受けても良い(受かる可能性あり)

と思うけど」

娘「どこが近いの?」

夫婦「●●と××だね。●●ならバス。××なら歩いても行ける。

高校生になったらどっちも自転車でいける」

娘「××はパパの母校でしょ?そこでいいじゃん。歩いても行けるし」

夫婦「お、おう」

娘には、「御三家」とか「国立附属」とか変なブランド志向は

まったくないようです。実利優先ですね。

(受験産業に煽られて大金を落とすこともなさそうで良い事です)

という事で、11月に第一志望を都立中高一貫校に決定しました。

 

そこはたまたま僕の母校ですが、それはほとんど志望校決定に

影響していません。私立ではないのでOBの子供だから下駄を

はかせてくれるとかも当然ありません。

(ツクフは皇族の関係でやっちゃいましたが、それがない所が

国公立の良い所なんですけどね・・・。きちんと受験をして

筑波大附属中学に入った人やその保護者、あるいは先生方から

したら許せないでしょうね~。僕の感覚では、ブランドの大いなる

毀損です。幼稚舎から慶應に入っている人を賢いとはあまり思わない

のと同じことが、国立の学校でも行われたわけですからね。誰も

表立っては言わないでしょうが…)

 

11月から急に適性検査対策ができるのか?ですが、これは別記事に

詳細がありますが、「私立型の勉強→公立の適性検査」ならできます。

逆は難しいと思います。

 

適性検査の「受検」は基本的に「記述」なので、国立や難関私立の

国語の対策をしていた我が家はスムーズに対応できました。

(難関私立でも大学附属系は記述がほぼないのでちょっと違います。

学習院女子はミニ桜蔭みたいな記述の国語でしたねそういえば)

また、「2月3日が本命」だったので、都立中高一貫校を受ける可能性も

あり得ると思っていたため、定期的に適性検査対策をさせていたのが、

結果としてはとても大事でした。

 

6年生12月~2月:適性検査対策!!!

とはいえ、第一志望を都立中高一貫校に決定してからは、ひたすら適性検査対策です。

最後の2か月くらいは、ほぼすべて適性検査対策をしました。

 

また、都立中高一貫に特化した塾であるenaの模試を受けられる

だけ全て受けました。

 

学校別の模試も複数回あったので、それも受け、すべてA判定だったので、

正直、余裕ありだなというのが親の見立てだったのですが・・・。

 

6年生2月:いざ本番!!!

年明けからは体調管理だけは万全にという気持ちで2月1日を

迎えました。

 

2月3日の本命の受験までに私立の合格を確保し、ここまでぬかりなし!

よっしゃ行ってこい!

という形で2月3日迎えました。

 

6年生2月10日―親父の一番長い日

2月3日の手ごたえは、「まあまあ」といういつも通りのお答えが・・・。

ただ、正直、これまでの偏差値と、模試の結果から、7:3で受かっている

と思っていました。

が、まさかの・・・・繰り上げ合格。

おそらくですが、理由は、「適性検査」の出来ではなく、「調査書」だと

思われます。

うちの子は、主要教科は全て「3」(よい)だと思いますが、それ以外の

体育や家庭科、美術などが「2」が結構まざっていたと思います。

おそらく、都立中高一貫校に受かる子の多くはオール「3」なのかも

しれません。

それでも、「適性検査」でぶっちぎれる!と思ったのですが、

甘くなかったようです。まあ、結果として合格したので、良いんですけど。

 

正式に合格が決まって崩れ落ちた娘の姿を僕は一生忘れないでしょう。

(詳細は下記記事をお読み下さい)

 

おわりに:やがて哀しき中学受験―曲がりくねった道をまっしぐら

結果だけを見れば、娘の中学受験2022は、

●全勝

●第一志望の都立中高一貫校に進学

と最高の形で終わったと言えます。

 

とはいえ、ここまで読んで頂いた方にはお分かりのように、

曲がりくねった道をまっしぐらに走ってきたというのが

率直な感想です。

 

どこかの「一点」をしくじれば、おそらく第一志望には落ちていた

でしょう。それを考えると、本当に本当に良かったと思います。

 

あの子は2年半、きちんと努力を積み重ねて来ました。それは、

一緒に勉強してきた僕が世界中で誰よりも知っています。

 

塾なしで中学受験を始めて2年半。

家族で一丸となって本気で何かに取り組むという得難い経験だったと

思います。

 

娘よ、おめでとう、お疲れ様、そしてありがとう。